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1990年に開催された第10回日本ジャンボリー(ボーイスカウト)で皇太子殿下の前でモデルロケットを打ち上げました。
 また、それとともに、教室も開かれました。後半の一部ですが、ココをクリックするとYOUTUBEでロケットの打ち上げの様子をご覧いただけます。

協会の理念




 モデルロケットのはじまり

 はじめてのモデルロケットがあらわれたのが1957年。1958年には米国でキットとエンジンが量産され市販されました。それにはひとつのわけがありました。
 モデルロケット以前の青少年のロケット実験は、危険な燃料や機体を使っていたために、事故や怪我が相次ぎました。これを憂慮した宇宙ロケットの専門家が、何とか安全なロケット実験が出来ないものかと頭を悩ませていました。そこに届けられたのが、アメリカの片田舎にすむ靴屋さんが工夫した「オモチャロケット」。この1機のロケットを原型にして、安全な青少年ロケットのアメリカでの基準が作られました。やがて1969年の国際宇宙学術会議から青少年の安全なロケット実験の基準が研究され、1973年に国際模型ロケットエンジン規格が制定されることになりました。
 日本のモデルロケットの取り組み

 日本では1990年に山田誠氏(現会長)が公式に打ち上げを開始し、多くの協力者により火薬類取締法の一部改正を実現し
ました。危険な青少年ロケット実験が社会問題化したとき、それを「禁止する」のではなく、より安全な指針や環境づくりをす
ることによって、奨励するという考え方は少年少女の独創性を育てるためには、ぜひ学ぶべき態度だと考えます。欧米と比
べ、出発こそはひどく立ち後れた日本の宇宙開発ですが、現在ではその予算技術とも世界屈指の先進国になっています。
しかしそれに比較して、国民や将来を担う子どもたちの宇宙に対する感心や知識は、あまり高いとは言えません。

 日本モデルロケット協会は、モデルロケットを通して、青少年の宇宙科学に対する啓蒙、育成活動を目的としています。
 だれでも一度は、ロケット花火の打ち上げに夢中になったり、あるいは金属の鉛筆キャップにセルロイド製の下敷きを細か
く切って詰め、火を付けて飛ばしたりしたことがあるでしょう。「大空に高くロケットを飛ばしたい」これはどんな少年少女の心
にもある、上昇志向の発露なのではないでしょうか。

 しかし日本ではロケット実験はとても危険なもので、青少年からロケットは一切取り上げるべきだと、長い間考えられてき
ました。日本で宇宙ロケットの研究が始まった1950年代の半ば、情熱的な青少年の間に、ロケット熱が高まりました。東京
国分寺での東京大学のペンシルロケット水平飛翔実験や、1955年に秋田県道川に建設された日本で初めての宇宙基地
での実験などが新聞などをにぎわすたびに、宇宙開発やロケットに感心を寄せ、自分でも飛ばしてみたいと考える人が増え
てきました。1960年のスプートニクやエクスプローラ成功のころその高まりはピークを迎えました。全国の高校、大学あるい
はマニアたちが行った実験で、事故が相次いだからです。その後学生闘争などもあり、ロケット=ミサイル=危険なものとし
て、社会から追放されてしまいました。

 一方欧米では、職業ロケット家の手によって開発された、モデルロケットが1970年代から1980年代にかけて一大ブームを
巻き起こし、その後小さなものは学校などの教材やとして、大きなパワーを持つものは大人の趣味として社会に定着してい
きました。70年代末から80年代にかけて、日本でも流通させようとする試みもありましたが、いろいろな困難がありました。
その障壁となったのが、ロケットを危険視する社会風潮と、法制度でした。

 1990年8月、優れた宇宙教育教材であるモデルロケットを、日本でも打ち上げられるようにしたい。山田誠氏の呼びかけに
よって、火薬の専門家、プロのロケット家、宇宙開発機関の幹部などが協力し、日本モデルロケット協会を設立し、安全教
育と政府機関への働きかけを開始しました。この活動によって、モデルロケットと火薬量5g以下の推進器の一般流通が始
まり、1995年には現状にそくして規制緩和されるとともに、モデルロケットの法的な基準や取り扱いが決められました。


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